悠々としている長江の下流で、古い町である鎮江の北東に、焦山という島が位置している。青々としている山は碧玉のようになっているので、歴代の文人たちに「江の玉」と評価された。焦山碑林は全国の重要な文物遺産に指定され、摩崖石刻や碑林が含められている。焦山碑林は鎮江が対外開放し、町の魅力をアピールする重要な文化スポットだ。焦山碑林が南に、西安碑林が北に、それぞれの魅力を放ち、「江南碑林」と称えられる焦山が「書道の山」とも言われている。
摩崖石刻が焦山の西側の崖壁に集中し、迫力がある。六朝以来の石刻が80体以上保存され、「大字の祖」と呼ばれる『瘗鶴銘』が本来ここに刻まれた。唐代の摩崖石刻『金剛経偈句』、宋代の石刻『米芾の題名・題刻』、『陸遊が雪中での瘗鶴銘鑑賞』などは質が上等なもので、貴重な文物だ。
焦山碑林は最初は北宋の慶歴8年(1048)に銭彦遠太守によって建てられた「宝墨亭」で、明代に増築されて「宝墨軒」になり、清代から長江の東側の地域に名を馳せている。1962年に、鎮江市人民政府は民族文化の遺産を守るために、多くのところから石刻を集め、「宝墨軒」の旧跡で焦山碑林を再建した。1988年に修繕され、2002年に増築され、また、2020年に再びリノベーションされた。現在、碑林は面積が7000平方メートルで、庭が軒を並べ、回廊がくねくねと延び、木が茂り、香りが漂う。秘蔵されている石碑が500体以上で、展示されているのは400体だ。有名なのは唐代の『魏法師碑』、宋代の『章岷墓誌』、明の石刻で宋代の米芾が臨模した『蘭亭禊帖』、清代の『澄鑑堂石刻』などがあり、異彩を放ち、鑑賞しきれないほど次から次へと並べられている。『瘗鶴銘』が大広間の真ん中で展示され、書道の歴史に輝く作品だ。
石碑は古代の人たちが後世に残こしたもっともリアルで、一番堅くて古い宝物で、歴史、文学、書道、彫刻などの形として、中国の伝統文化の重要な一部となっている。焦山碑林は江南の石碑の名品の集まりで、歴代の書道の姿を表し、自然と文化を融合させ、言われた通りの名所旧跡であり、国宝だと言ってもいいだろう。西安碑林は雄大な黄河の文化の象徴だと言われていると、焦山碑林は一味違う長江の文化の結晶だ。千年余りの歴史で、数えきれない有識者が苦心して、宝物になった書を残したおかげで、焦山は書道の名山として名をあげ、その名を慕って見にくる観光客は絶え間なく足を運んできて、名残を惜しんでいる。