伝奇的な愛の聖地

蒋介石と宋美齢が契りを結んだ焦山

焦山は揚子江の真ん中に浮かぶ小島で、元の名は樵山と言った。東漢の末、陝中の隠遁者である焦光がここで隠遁生活を送ったことから、後の人は彼を記念し、この山の名前を焦山と変えた。また、緑の波を抱え木々が青々と茂る様子が、さながら河に浮かぶ碧玉のようであることから「浮玉山」とも呼ばれる。さて、当時すでに3度の結婚を経験していた蒋介石は、聡明美麗である宋美齢と予想外の出逢いを果たし、瞬時に恋に落ちた。しかし宋家は由緒ある家柄である。周囲から大切に育てられてきた名家の娘として、また西洋式の教育を受けた人間として、宋美齢がこの縁談に同意するはずがなかった。そこで、蒋の部下の一人が宋美齢を鎮江焦山へ遊びに誘うよう提案した。

1927年5月中旬、40歳の蒋介石と30歳の宋美齢は鎮江焦山で初めてデートした。ふたりは新式のセダンに乗って長江の畔まで行き、そこで小さな汽艇に乗り換え、焦山へと向かった。蒋と宋は焦山で毎日早朝から夜遅くまで名勝古跡を巡り、この滞在で10日間滞在した。ふたりの関係の進展はあっという間というべきだろう、5月25日に別れるときには、ふたりはすでに「彼女でなければ娶らない、あなたでなければ嫁がない」仲になっていたのである。

史料の記載によると、蒋介石は仏教を信仰していたが、宋美齢は敬虔なキリスト教徒であった。このため、ふたりは焦山定慧寺を参拝するとき香を焚かなかった。ほとんどの時間、蒋は宋と肩を並べて焦山の美しい景色を巡ったという。

 山河を巡りながら愛を語る以外にも、蒋介石は宋美齢と共に河で採れた新鮮な食材を使ったグルメを楽しんだ。なかでも最も有名なのは、今でも変わらず天下一品の美味さを誇る焦山鰣魚(シギョ)である。ふたりは毎日手をつないで舟に乗り、採れたばかりのシギョを漁船の上で楽しんだという。宋美齢はその美味しさを晩年に至っても忘れることができなかった。鎮江焦山は蒋介石と宋美齢の世に伝わる不思議な縁の地だと言えるだろう。