伝奇的な愛の聖地

華山村————梁祝愛の伝説

鎮江の東郷には華山村がある。元は石橋鎮に属していたが、のちに合併し、今では鎮江新区桃橋鎮に属している。華山村は歴史ある村落であり、少なくとも南朝時代には存在していた。六朝時代の民間歌謡をベースとした楽府民歌には「華山畿」というものがあるが、華山村はこの物語の発生地もしくはモデル地である。

「華山畿,君既為儂死、独活為誰施?歓若見憐時、棺木為儂開」。『華山畿』というこの歌は、1800年前の六朝時代から現在まで歌い継がれている。壮絶ながらも美しい愛の物語について伝えるものである。歌の内容はおおよそこのようなものである。「華山畿よ、あなたは私のために死んでしまった。そのことに対するうしろめたさをごまかしながら、私ひとりでどうして生きていくことができるでしょうか。もしあなたが私の境遇を憐れんでくれるのならば、その棺を私のために開けてください。私はよろこんで黄泉の国まであなたのお供を務めしましょう」。詩は全体を通して当時の口語で詠まれており、ヒロインの変わらぬ愛と、自分のためにわが身を投げ出した相手に対して命を惜しまず報いる彼女の姿勢をありありと表現している。その断固たる語り口と勇敢な行動には、天地も驚き、鬼神も涙する。

2006年、鎮江姚橋華山村で南朝時代の共同墓地である「神女塚」が発見された。専門家の考証によって、この「神女塚」は中国四大民間伝説の一つである『梁山泊と祝英台』の物語の原型である可能性が極めて高いと認められた。

この古村をゆっくり歩くと、今でも変わらず千年の古韻を感じることができる。村に入ると、まるで巨大な傘のように覆いかぶさる銀杏の木が遠くからでも目に入る。樹齢1500年のこの古銀杏のそばには張王廟がある。聞くところによると、江南一体で最も早い廟会(縁日)はこの廟から生まれたという。村落のなかは、東西両側から村中心に向かって村の軸となる道が走り、南北を二分している。その軸からいくつもの路地が延び、街の構図はさながら魚の骨である。現地の村人たちの誇りは、「龍背街」と呼ばれるこの古い町並みである。『丹徒県志』によると、1000年ほど昔、この街には日用雑貨店、茶屋、布屋、工芸刺しゅう品屋、酒房、油屋、飯屋、絹織物屋などの商店が数十軒あり、正月や節句の際には非常に多くの人々で賑わったという。